読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ガラスの靴を持たなくても

「自分磨き」初心者・二十代女の意識の低い美容ブログ

コンプレックスという言葉

 
 
この前、意図せずして起きたフランベにより、換気扇のカバーが燃えました。どうも。初心者女かのです。
 
偶発的フランベ事件についてはいつか必ずお話ししたいのですが、今日はコンプレックスについてです。
 
 

f:id:syosinsyaona:20170428130021j:plain

 
 
わたしはコンプレックスという言葉が苦手です。

以前あるラジオ番組で、有名なメイクアップアーティストがこういうことを言ってたんです。
僕はメイクをする人がコンプレックスに感じているだろうところを逆に生かしてあげるんです
細かな言葉遣いはちがうんですが、ニュアンスはだいたい合っていると思います。
この方の言っていることはともかく(なんだかポジティブでいい感じに聞こえる言葉だ)、わたしは「コンプレックス」という言葉自体にどうしてか過剰に反応し、それが記憶に残っているのです。
 
コンプレックス。
元々はユングフロイトといった心理学者が使っていた精神分析の用語で、単に無意識化に存在する様々な感情をさしていたらしいですが、今では「劣等感」という言葉とほぼ同じ意味で、そしてもっとカジュアルに使われています。
つまり、コンプレックスとは劣等感の意味なんですよね。
こと、容姿に関しては、現代日本に生きる若い女性(つまりわたしもそこに入るわけですが)にとっては、一億総芸能人化とはいかないまでも、知らず知らずのうちにたくさんの要請を受けている気がします。
人に会うときは必ずメイクをしなければいけない常識とか。
オフィシャルな場ではヒールのある靴がスタンダードとか。
別にモデルとかアイドルとか、美を求められる仕事に就いているわけでもないフツーの女でさえ、きれいな方が望ましいとされる世の中です。
試しに書店に行って「美しい女性でありなさいみたいな本」を探すと、専用の棚がどーんとあります。わたしの好きな海外文学の棚なんか一つしかないのに(それもだいたい村上春樹とかに浸食されてさらに狭くなっている)、そういう書籍の棚は三つも四つもある(需要と供給の残酷なる差ですね…!)。

そして極めつけは「美人の方が得」。
誰かに言われたこともあるし、自分の心の奥底でもうっすら思ってます。本当だと思っている。
わたしが言われたことがあるのはたいてい、デリカシーという言葉の存在をそもそも知らない無邪気な中年男性か、若くて無邪気な男性か、一言多い中年女性か、それか自分と同年代の女性です。
無邪気な男の人と余計なお世話の女の人は別にいいです。彼らは他人にそういうことを平気で言える、ちょっと失礼なタイプの人だから。で
も問題は同年代の女の子です。
彼女たちの口から「美人は得だ」という言葉が聞こえると、わたしの心の中ではもう一つの言葉がささやかれる気がします。
「若い今が一番かわいい」

美しくあれ。
その他者の欲望は、いつしか自分の欲望へと変化した。
美しくなりたい。
アフロディーテのリンゴをかじってしまったから、もう引き返せないのだ。
そうして「若くて美人なこと」が絶対的に良いとされる世界で育ったせいで、「若くて美人でないこと」は全部劣等感を抱える羽目になってしまった。
 
美人になりたい、
かわいくなりたい。
深夜、ベッドの中で明るいスマートフォンの画面を眺めながら、そうつぶやく。
画面の中のインスタグラムには、顔の整っている美女たちの写真がたくさん、それはもう洪水のように流れていき、世の中にはこんなにも顔立ちの美しい人がたくさんいるのだなーとびっくりします。
そして時々、いたって普通の健康的な女の子の写真を発見して安心する自分がいる。
こういう日常に本気でもううんざりしてます。
世の中、美人が得でもいい。仕事用の化粧を命じられてもいい。外反母趾なのに痛いのを我慢してヒールだって履いてやる。もうかわいいが正義でも悪でもなんでもいい。
わたしはただ、自分の顔を好きになりたい。
自分を自分のままで、好きになりたい。
そして正直に言えば、ほんのちょっとでいいのでもう少しあか抜けたい。
わたしはいたって普通の、のっぺりとした純大和民族顔で、美人でも何でもないです。
一重の瞳、正面からよく見える鼻の穴、成長しすぎて張っているエラ。わたしの顔のこういうものは、その有名メイクアップアーティストから見れば、全部「コンプレックス」で、「逆に」生かすべき場所なんだと思います。
でも、わたしにとってそれは全然コンプレックスなんかじゃない、
といつか胸を張って言える日が来たらいいなと思います。
わたしはわたしで、それ以上でも以下でもない。人より劣っていないし、まあ優れているかと言われればそうではないけど、でも少なくとも劣ってはいない。たぶん。
他の人がどうであろうと、自分だけはそうやって自分の顔を肯定してあげたいなと思いました。
夜な夜な、暗いベッドの中でインスタグラムの四角い写真を見て、わたしは憧れのため息をつく。
いろんな顔のどこかの誰かが、自分の顔のまま、楽しそうに笑っている写真を見て。
世界に押しつけられた美醜の価値観も、ひとの視線も感じず、自由に笑う誰かの笑顔を見て。